沿革
- 昭和13年(1938年)
- 東京都渋谷区道玄坂にて旋盤工場を始める
- 昭和25年(1950年)
- 目黒区上目黒に「精研工業所」を設立、自動車・精密部品等の製作を行う。三菱重工、日野自動車、いすゞ自動車、日産自動車、富士精密等に納品
- 昭和42年(1967年)
- 埼玉県児玉町に工場を開く
日立製作所武蔵工場の協力工場となる
ソニーへカセットテープのローラーピン等を納品 - 昭和44年(1969年)
- 埼玉県児玉町に電子部品工場を新築
- 昭和45年(1970年)
- 「有限会社児玉電子工業所」設立
日立製作所高崎工場・日立金属の協力工場となる。これより半導体(TRS~IC)前工程~検査、59年よりマイコン制御、回路設計等を始める(~現在) - 昭和57年(1982年)
- 「本庄マイコンスクール」「群馬マイコンランド」開設(~昭和59年8月)
当時まだ個人用端末やソフトウェアの概念が乏しかった時代に、プログラム開発やPCの基本などを企業や自治体、一般向けに幅広く教える場を開講する。自社独自のソフトウェアやゲームなども開発。 - 昭和58年(1983年)
- 日本で初めての画期的ソフト「ディスク・ガード」「ディスク・ザップ」「スーパーモニター」他、多数のソフトを発表、高く評価される(日刊工業新聞・電波新聞等掲載)
- 昭和59年(1984年)
- 「株式会社児玉電子」に組織変更
埼玉県本庄市に本社社屋新築。製造部・システム事業部・知的所有権室・不動産事業部を設置
群馬県高崎市矢中町に工場を開く(~平成8年)旧本社社屋外観 - 昭和61年(1986年)
- 日立マイコンシステム(現日立ソリューションズ・テクノロジー)内に高崎分室を設置
特定労働者派遣事業届出(特11-020001)
「埼玉ソフトウェア研究会」理事 - 平成5年(1993年)
- 「視覚障害者安全誘導システム」発表(特許第2673258号)
「視覚障害者のためのオセロゲーム」発表(特許第2652130号)
「埼玉県新製品新技術フェア」出展(日経新聞掲載) - 平成23年(2011年)
- 本社移転
- 平成30年(2018年)
- 労働者派遣事業許可(派11-300971)取得